皆さんごきげんよう。
ここにたどり着いたということはEIRという用語を見て「ようわからんな」と思っているのではないでしょうか。
もし違っても、何か得るものがある記事にしたつもりなので、しばらくお付き合いいただければ幸いです。
日本語文献でここまで丁寧に分析している資料は少ないと思います。*1
バクロニム
バクロニムっていうものがあります。
知らないという人はひとまずWikipediaを読んでみてください。
バクロニム - Wikipedia
早い話が、「略して使っているうちに元の単語ではなくて、別の言葉に置き換わっちゃう」というやつです。 DVDはDigital Video DiscだったのがビデオだけじゃないのでDigital Versatile Discになったりというものです。
意図的だったり勘違いだったりまちまちですが、略語の方は変わらずに意味の移り変わりについていくとバクロニムが生まれる傾向があります。
今日のテーマEIRも、また同様です。
- EIR = Employer's Information Requirements
- EIR = Exchange Information Requirement
という二つの認識があります。私の狭い観測範囲では2024年初頭の現時点ではEmployer派が多数です。 どうしてこうなったのでしょうか?
EIR = Employer's Information Requirements 派
BIM界隈で実務歴がそれなりに長い人は、EIRと言えばEmployer's Information Requirements 「発注者情報要件」だろうという認識だと思います。
イギリスのBIM規格 PAS 1192-2:2013などでは明示的にそう示されていました。
これを参照した日本の国土交通省の資料でも発注者情報要件としてのEIRが出てきます。
2024年現在、ネット検索でも圧倒的にこの認識で書かれた記事が多くあります。英語、日本語問わずに、です。
このEIRと呼ばれる文書は発注資料の一部で、情報に関した発注者からの要件を示すもの、ということになります(小泉進次郎構文)。
時たま補足的に「BIM業務の仕様書」という表現を見かけますが、これには少し注意が必要です。
BIMをどうとらえているかにもよりますが、情報の要件というのは必ずしもいわゆるBIMの範囲だけにはとどまりません。
設計業務や施工業務の中で発注者から要件としたい情報関連のもの全般です。
また、「BIMの仕様書」と表現すると、設計や施工の業務とは分離してBIM業務が存在するかのような認識になる懸念もあります。
BIMは設計や施工のプロセスと統合されている必要があるので、「設計の仕様書(情報編)」あるいは「施工の仕様書(情報編)」のような認識を持った方が良いかもしれません。
情報に関してBIMを活用する場合はBIMに関する記述の比率が高くなるのでBIM仕様書と呼ぶ気持ちも理解できますが、BIMが自己目的化しないためにも意識的に注意喚起をしたい点です。
EIR = Exchange Information Requirement 派
こちらが新興派閥です。まだ少数派ですが、実務でも時折見かけます。
しかしながら、変人ぶりたい人たちではなく、BIMに関する国際標準規格であるISO 19650シリーズに準拠している場合、こちらに入ります。
BIM関連の各種規格の歴史的経緯に詳しい人からすると疑問が出てくるかもしれません。
「ISO19650ってPAS 1192とBS 1192を国際標準化したんだから、PSA 1192と同じ定義じゃないのか?」
そうなのです。ここが今日の議論のポイントです。
ISO 19650関連の講習や、ネットの海で議論している人たちの声(この記事とか)を聴いて整理して見えてきたことをまとめると次のようになります。
PASからISOへの国際化の際(イギリス以外の商慣習で見たとき)にいくつか問題がある
- Employerとしてしまうと直接的契約関係にない相手との情報交換が仕様に含まれない(例:審査機関-設計者)
- Employerは発注者という意図だが、雇用主のように誤認されることがある(社長のことじゃないよ)
- Employerは二次請けからみた元請けを指す場合もあり得るが、多くの場合建築主だけが想定されてしまう
対応策として
- イギリス国内で普及しているEIRという用語は変えたくないのでEで始まる単語を使う
- Exchangeとして直接的契約関係がなくとも情報の授受について規定する(例:施工者からFM業者)
- Exchangeとして発注者-元請けだけではなく元請け-二次請け、二次請け-サプライヤーなども想定する
ということでExchange Information Requirementという言葉が誕生したようです。同時に、Employerという用語はISO 19650では使われなくなり、Appointing party (発注組織), Lead Appointed Party(元請受託組織), Appointed Party(受託組織)という風に立場を呼び分けるように変わりました。*2
ISOの中の人に聞いたわけではないので真相はわかりませんが、私個人はこのように整理することで全体像が見えました。
今後こちらが多数派になるかもしれませんが、いまのところ各種規格を熟読したり、BIM業界の議論を継続的に追いかけている成熟度の高い実践者が使う傾向があるように見えます。
また、単にISOを踏襲するのではなく意識的にExchangeを使っている場合、契約関係外の情報交換などが重点になっているなど何かしらの理由があるかもしれません。
実務と理論
社内でこの議論をした際には、
「EIRは建築主が出すものであって、元請けから下請けに提示するのはBEP(BIM実行計画書)なのでは?」
という意見が出ました。
これは実務と理論(規格)の差異があるところかもしれません。
ISOの規格を読んでいると商流の上から下へEIRが流れ、必要に応じて追加されるという考え方があります。
「同じ会社の中の部署であってもEIRを作った方が良い」という記載まであるのですが、正直そういう仕事の仕方をしている例はあまり見ません。
PAS 1192からISO 19650への乗り換えではEIRのほかにもいくつか国際標準化に伴う読み替えや意味の拡張がなされています。
Contract(契約)がAppointing(発注または受託)に読み替えられているのは、社内での業務の委託も含めて規格に示す意図のようです。
どちらかというと建築主と元請け間でEIRとBEPが呼応して存在し、元請け以下ではBEPを共有というのが日本の実務では多い気もしますが、現実的な落としどころとしては建築主からのEIRに対してハイライトやコメントを加えて共有するということになるかもしれません。
その際、BEPがすでに存在する段階であればBEPとセットで渡すことは不自然ではないでしょう。
ISOの規格を見るとあくまで展開されるのはEIRであり、専門工事業者はEIRに対してTIDPなどを提示するようですが、長くなりそうなので別の機会に書こうと思います。
*1:この記事ではBSIの一連のBIM関連講習を参照している