2024年11⽉25日に開催されたMir.の特別セミナーにVIZチームで参加してきました。
「Mir.」はノルウェーの建築ビジュアライゼーションを専門とするスタジオで2000年にTrond Greve Andersen氏とMats Andersen氏によって設立されました。彼らの作品は建物や空間がリアルでありながらも、どこか美しく幻想的な雰囲気を持っていることが多く見られます。建築ビジュアライゼーション業界ではかなりの評価を受けており国際的にも高く評価されています。
私たちは前から「Mir.」の動向を追い続けており、今回のセミナーを聞く中でスタッフそれぞれ感じたことや学びがありました。今回は私たちそれぞれの感想をまとめてブログにしてみました。
照井悠大
Mir.は完成した姿をリアルに見せることが、「その通りに建てられる」という保証を果たす役割を担っていると語っていた。その為にフォトリアルな表現を採用しているという。これはオーナーが契約内容と異なるというクレームを防ぐ目的もあるだろう。投資家への保証を目的とした完成図は分かりやすさが重要である。
しかしながら完成図の保証を目的とするだけでは、Mirの構図の取り方に個人的に違和感を覚える。保証を目的とするのであれば全体像や細部がより明確に見える構成になるはず。フォトリアルなCGで設備関係が描かれていないものは多く、例えば外壁に樋や室外機の換気口が描かれていない事は珍しくない。また、日本でクライアントからフォトリアルCGを依頼された場合、CG制作会社が「現実とは異なる」といったクレームを受けることはあまり耳にしない。
また、契約図面通りの完成図を作成することが第一であるとするならば、「油絵でフォトリアルに描くのでは駄目なのか」という意地悪な疑問が浮かぶかもしれません。
しかしながら、現代の業務において油絵の筆をとる人は存在しないと言っても過言ではないでしょう。
ではなぜCGを使うのか。その理由は、
- 生産性が高いこと
- 修正が容易であること
- 制作者が限定されにくいこと
- クオリティを担保しやすいこと
が大きい理由であると考えている。
Trond氏は「PCや3ds Maxは単なるツールだ」と話していた。一言で「便利」と言える道具であり、仕事において最適だからこそ使用しているに過ぎない。つまり、3ds Maxは単なるツールでありそれをどう使うかは使い手次第だということだ。
上記はCGarchitectという海外のホームページだが、「建築ビジュアルの専門ページ」と銘打っているのにフォトリアルCGばかりがアップされ続けている。フォトリアルか手書きか、という選択肢すら無いように思える。フォトリアルな表現がスタンダードとなり海外の他のCG会社も同じ方向を「自然と」目指しているように見える。
その為、Mirの会社が特段フォトリアルにこだわっているというわけではなく、世界の潮流の中でMirにとって自然と最適なツールとしてCGが選ばれ、その中でもBlenderやSketchUpではなく特に3ds Maxが選択されたということではないだろうか。
近年のゲーム事情から見る建築ビジュアライゼーション
Mirの講演会で聞いてもう一つ印象に残った言葉として「没入感」がある。
近年のCGやゲーム業界はひたすらリアリティのある表現を追求し続けている。プレイヤーにとって、映像によってその場にいるかのような感覚が生まれると臨場感が高まり興奮を掻き立てられる。ライティングや質感、音響表現も進化し、かつてはピロピロとしたBGMが流れるだけだったゲームも近年では臨場感のある環境音が主体となっている。
草原を吹き抜ける風の音、雨音、雪を踏む足音など、実際の体験に近い音が没入感を大きく高めているし、3D植栽の濃厚な密度には舌を巻いてしまうことがある。映像を見た瞬間に「作り物だ」と感じさせない表現力が充実してきて、これらのゲームにおける体験と建築パースにおける体験の感じ方は近しいように思う。
VRヘッドセットをかぶるものは分かりやすいが、パースは基本的にファーストパーソン(一人称視点)といってしまってよいのだろうか。
人間にとって視覚情報は非常に重要であり、目から入る情報が大きな影響力を持っている。各メディアは相互に影響を与え合い、私たちの価値観や文化を形成する要素となっている。私たちが知らず知らずのうちに受け取っている情報がその時代の文化や社会を反映している。だからこそ様々なコンテンツがエンドユーザーにとってどのような文化的背景や価値観を持っているのかを理解しようとしなければ、私たちが相手の心に深く刺さる作品を作ることは難しいと思う。
何の絵本が好きだとかそういう話でいい、同じ体験を共有している人同士は制作物にも好意を持ちやすい。
イメージにリアルさを感じさせる事
以前ASAIのイベントで最近目にした言葉に
「魅力的なイラストレーションとは必ずしも現実と全てが同じである必要はない」
というものがあった。
これは非常に印象的だった。映画のライティングではレフ板やサブ照明、間接照明などを映像の枠外に設置し、現実の空間よりも過剰に演出されたライティングを行う。しかし、観客はその映画のカットを見ても「嘘だ」とは感じない。それは映像全体が絶妙に調和され、違和感を生み出さないように作られているからである。映像が物理法則通りである必要はなく、正確だからといって必ずしも体験としての「面白さ」につながるわけではない。
建築CGの分野においても同様だと思う。現実通りでなくても人々に訴えかける絵、自然で違和感のない絵を作ることが重要だと感じる。Mirのように超フォトリアルなCGを制作する会社は世界中に既に多数存在している。また、AIによるフォトリアル画像の精度も飛躍的に進化している。彼らもAIに対してはチャレンジしたいと言っていた。そのような状況の中で自分も負けないように努力を続けていきたいと思った。
有澤雄介
フォトリアルな建築ビジュアライゼーションを手掛ける「Mir.」は、この分野において突出した存在と言えるのではないでしょうか。そんな彼らがどのような思いで制作を行いどのような意識を持ちながら作品に向き合っているのかを知りたく、先日行われた講演会に参加しました。
事前の私の想像では、Mir.は確固たる意志と揺るぎない哲学を持ちながら制作しているのだろうと思っていました。しかし、実際に講演を聞いてみると彼らも日々迷いや悩みを抱えながら制作を進めていることが分かりました。 講演では観客から技術的な質問が数多く寄せられていました。例えば、「制作フローはどのように構築されているのか」「絵をどのように構成しているのか」等といった内容です。これらの質問に対しMir.のTrond氏は哲学的な視点から回答していたことが非常に印象的でした。
その中でも特に印象に残ったのは次の言葉です。
「建築ビジュアライザーは複雑な存在です。技術的な視点で物事を捉えがちですが、それが故に考えすぎてしまうことも多い。私自身もそうです。しかし、最も重要なのは“感じる”ことです。目とハートをつなげることを忘れてはいけません。」
この言葉は単なる技術やプロセスにとどまらない、感性と哲学の重要性を強調しており深く考えさせられました。また、彼の言葉や態度にはノルウェーらしい自然観と穏やかさが感じられ、建築ビジュアライザーとしての「正解」ではなくむしろ「在り方」を模索する姿勢がうかがえました。
自身のルーツとの作品への接続
講演中、Trond氏は自身のルーツについても多く語っていました。自然を愛し、アウトドアや釣りを楽しむ彼の生き方は、彼の作品づくりに大きな影響を与えているようです。Mir.のノルウェー本社も非常に厳しい自然環境の中に位置しており、その環境が制作に及ぼす影響もあるように思います。
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これを聞いて、私自身も自分のルーツについて改めて考え直す機会となりました。自分にとってはアウトドアや音楽、ゲーム、デッサン、銭湯…など、私の原体験が建築ビジュアルを制作している際に自然と反映される瞬間があるのではないかと気づかされました。直ぐに実務に反映される事は無いとは思いますし反映されない事の方がも多いとは思いますが、己の生き方が仕事に繋がる部分も多くあるのではないかと信じています。
「建築パースには自己表現が含まれるべきですし、それは自然と反映されてしまうものです。」
建築ビジュアライゼーションは業務はモチーフは基本的に先方から与えられるものなので自己表現が読み取りづらいコンテンツかもしれませんが、Trond氏が語ったこの言葉のようにどんな絵作りでも必ず私性が表現されるものだと私は考えています。
人物添景配置にしてもどんな情景が良いか、どんな服装や表情が良いか等、一度描き手側で咀嚼してから表現に起こすはずで自己表現が必ず含まれるはずです。
豊かな生き方が豊かな作品を生む
今回の講演を通じて、建築ビジュアライザーとしての職務に真摯に向き合うことと同時に個人として豊かで純粋な生き方を大切にすることの重要性を学びました。アーティストとしての成長と同時に人生そのものをより豊かにする糧となると感じます。
建築ビジュアライザーとしての在り方を改めて見つめ直し、日々の制作や生活に新たな視点を与えてくれる非常に貴重な時間となりました。
松谷一樹
今回のMir.の講演は、MIRの哲学、コミュニケーション、チームマネジメント、ブランディング、制作方法などMir.を包括的に紹介する内容だったと感じた。彼らが目指すイメージを明確に持っていることが伝わり理解が深まった。それは、ノルウェーの豊かな自然を制作の基盤に据えており、それが彼ら自身の原体験に根ざしているからこそ、時に奇抜に思えるアングルでも力強くリアリティのあるビジュアルを生み出せているのだと思った。
自分の制作において、ビジュアルに端的な名前を付けることができるか?と考えると、できているようでできていない。「夕暮れ時のコンサートホールへ向かうシーン」といった説明的なタイトルではない。 タイトルがイメージのすべてを物語るものであれば、伝わるものがそこに収束するからだ。だが、逆に言うと伝えられることはタイトルに終止する。
日本のビジュアル業界では、
「1枚の画像に多くを詰め込みすぎて説明過剰になる」
「もっと情報量を減らすべきだ」
といった議論が10年以上前から続いている。だが、愚痴や議論に終始し、それを実現できている会社は少ない。自分としてはプロジェクト内で制作されるイメージには役割分担があるべきだと考える為、コンセプトを強烈に伝えるイメージが必ずしも良いとは僕は考えていない。同じように感じている制作者も多いのではないだろうか。
Mir.を語る際、よくバロック絵画やロマン主義のような力強さや明暗のコントラストが話題になる。しかし、今回の講演を通じてそれは表層的な分析に過ぎないと感じた。Mir.が掲げる「予期していないものを探す」という言葉には、自分にとって新たな視点を得るヒントだった。私はクライアントの言葉やラフなアングルを通じて最適解を探すことが多く、そこにひらめきを感じる事も少なくない。
以前の職場で「設計者が見つけていない建築の良さを発見したときが一番楽しい」と聞いたことを思い出した。ハートの言葉を話す良いイメージを創るためには、そのような純粋な楽しさがきっかけになると改めて感じる。
Mir.に憧れる気持ちはあるが、自分としてはもっとフラットでリアリティがあり、どこか「凪」を感じさせるようなイメージを制作したいと漠然と感じていたりもする。
クライアントとの関係をより良い形で築き、深いビジョンを育むことが重要だ。そのためには、ディスカッションが必要不可欠であり、我々の強みを言語化していく必要があるだろう。ただし、それが問題探しにならないように注意しなければならない。Mir.の表現を表層的に目指すのではなく、vicc独自の方向性を追求すべきだと考えている。深いビジョンの醸造には時間がかかる。
良い酵母かどうか。
Mir.は休息の時間もビジョンの醸造に繋げている。釣りをしたり自然の中で過ごす時間がそのまま制作に還元されるという合理性を感じた。旅で得た情景や風景は確実に引き出しとなり、制作に生かされる。それを目指しつつも仕事ばかりにならず、無駄なことや脈絡のないことにも時間を費やすべきだ。それらがいつか制作に繋がることもあるし繋がらないこともある。それでいいのだ。面白い制作をする人はきっと面白い生活をしている。
「設計者が見つけていない建築の良さを発見したときが一番楽しい」という想いを胸に面白い制作を続けたい。そして、面白い人が良い酵母となる。今回の講演を通じてその大切さを改めて実感した。
Mir.と私たち
講演会を聞き、改めて私たちはどのような立ち位置で取り組んでいるのだろうと考えました。
二社のページを眺めていると、Mir.は「自然環境と建築の調和」を主題として徹底的に絵作りしている点に比べ、viccは建築本体の表現に特化する事を主題とした絵作りをしている事が伺えます。
具体的にviccはコントラストの強弱や色の扱い方、線画ハイブリッド表現やイラストなど手法が多様であることに比べ、Mir.は3DCGを徹底的に使用し物理的な光環境を基準とすることで「没入感」を最大限に演出する絵作りをしています。 アングルも大きな違いを感じます。viccは軸線を強調した構図が特徴的である一方、Mir.はどちらかというと軸線が緩く絵全体の調和を重視しているように見えます。
また、Trondoさんは「全てを見せない絵作り」を大切にしていると話していましたが、それはひとつの答えであると同時に、「全てを見せる絵作り」もまた別のひとつの答えであると感じます。
Mir.の全てを見せない建築表現スタイルは彼らの中で泥臭く考え続けた結果たどり着いたひとつの到達点ですが、どのような絵作りであっても建築が持つテーマについて地に足をつけて深く考えること、そしてチームやクライアントと共に議論しながら作り上げることによって導き出されるものではないでしょうか。
私たちは愉快な冒険者
私たちは未知のことや新しいやり方が好きです。これまでの慣習や常識を気にせず、好奇心を持って変化を楽しみます。同時に、うまくいかなくてもへこたれない忍耐力も持っています。粘り強さは新たな地平にたどり着くために欠かせない姿勢だと信じます。
私たちは直観的科学者
私たちは科学的な思考を重んじます。合理性、客観性、学術的な知識を大事にし、間違いがあれば立場の違いにかかわらずすぐに改めます。同時に直感も大切にします。科学的思考によって磨かれた、あてずっぽうではない感性がときに道しるべになるからです。
私たちは分かち、ともに学ぶ
私たちはチームで支えあうことを大事にします。一人だけで考えることを嫌い、社員それぞれの達成、失敗から学びを得ることを重んじます。そのため、互いに誠実であること、多様性を尊重すること、支えあえる環境を作ることに努めます。社員同士にとどまらず、クライアントともそのような関係性を築くことを目指します。
これは私たちの会社のValueです。
改めて自分たちの立ち位置を認識し、チームとしてどのような方向に向かうべきか意識させられた講演会でした。
Tooさんには何年もかけて素敵な企画を実現して頂き本当にありがとうございました。そしてお忙しい中はるばる日本まで来てくださったTrondさんにも心から感謝しています。